沿革[1] 大阪市立大学教職員組合として
大阪市立大学教職員組合は、1949年12月の新制大阪市立大学の創設とともに結成され、「組合員の身分保障、生活の安定、学内の民主化」を運動方針の柱として、とりわけ戦後の厳しい生活・労働条件の中での賃金確保や、安心・安定した教育研究の発展という使命を果たすための教育・研究費の確保という運動に始まり、大学紛争の時代には「大学の民主的改革への取り組み」、さらに労働運動をめぐるさまざまな論議を経た「大学教職員組合運動強化のための取り組み」、そして大学への社会的要請の多様化のための政策提言等々、その時代・時代に対応した運動を精力的に展開してきました。
90年代以降には、現在、社会から求められている「大学改革」に関して、大学自らが中長期的な視点に立ち安心・安定した大学運営を展開するための検討を開始し、数次にわたる議論を尽くして策定された「基本計画」に打ち出された「魅力ある都市型総合大学づくり」、そしてその計画を果たすために「働きがいのある職場づくり」を目指して、組合としても心血を注いできました。
しかしながら「バブル経済」が崩壊した後、長引く日本経済の不況を背景に、大学という「知の拠点」にまでも「競争原理」が持ち込まれ、「大学改革」とは名ばかりの「行財政改革」の一環として、2004年4月には国立大学が「国立大学法人」に移行しました。これを契機にそれまでの安心・安定した教育研究さらには医療の提供などに対し、長い歴史を培ってきた国立大学はそのあり姿を大きく変え、公立大学もまたその余波に飲み込まれることとなりました。2005年4月には東京都立大学、横浜市立大学、大阪府立大学など規模の大きい公立大学が「法人化」への道を先行することとなり、大阪市立大学でも、折からの大阪市の財政状況の厳しさもあり、2006年4月に「公立大学法人大阪市立大学」へ移行。組合もまた「職員団体」から「労働組合」へと形態を変更した「大阪市立大学教職員労働組合」として新たなスタートを切りました。
沿革[2] 大阪市立大学教職員労働組合として
法人化について当時の大阪市立大学は「市に縛られない自由な大学運営を可能にする」というメリットを強調していましたが、法人化の直前に設立団体である大阪市が「20%歳出抑制」「職員の採用凍結」「労働組合との関係見直し」などの方針を発表すると、大学もこれに追随し、「5年で公費負担を20%削減、法人化初年度は経常経費を10%削減」「5年で人件費を20%削減」といった方針を発表し、「バラ色の法人化」とは程遠い滑り出しとなりました。
さらに、市から職員の採用にストップがかかる中、市職員の身分を選択した職員が大量に市へ復職していったことで、大学運営を担う職員が急減。短時間勤務職員の雇用や人材派遣職員の受け入れによりこの危機を乗り越えようとしましたが、これにより職員の非正規化が急速に進行しました。
私たちは、運営費交付金が削減されていく中で以前のような本務職員を中心とした職員構成へ回帰することが困難である状況において、大学の安定的運営には非正規職員の処遇改善が必須であると考え、短時間勤務職員(事務補佐)を組合員化。フルタイム・月給制への移行、一時金支給、そして無期転換・本務登用など、その処遇の改善に取り組み、実現していきました。この取り組みは、新大学設置に際して法人の基幹業務を担う非正規職員が「職務限定職員」と名を変えた現在もなお続いています。
一方、附属病院でも、看護職員の大量離職、7対1看護体制への対応、赤字決算、残業代の未払いなどの発生により、運営が不安定化しつつありました。そうした中で突如として本務の医療技術職員に任期が付されたことについては、法人化直後の大きな課題となり、その解消には6年にわたる取り組みが必要でした。
2010年代にはいると、政治的要因により、給与水準の切り下げだけでなく、労使関係においてもこれまでになかったような問題が相次ぎ、労働組合としてかつてない苦境に立つこととなりました。さらに、再燃した府立大学との統合の議論と並行して、教授会の弱体化や理事長選考における教職員投票の廃止など、様々な「改革」が推進され、大学の自主性・自立性が急激に失われていきました。
法人統合時の新就業規則作成をめぐっては、市大法人の教員・職員・病院職員にとって生涯賃金が少なからず減少する制度改正が提案されましたが、熾烈な交渉の末、影響が大きく出る教員と病院職員に関する改正案を跳ね返すことができました。しかし、一般職(事務・技術・司書)については合意に至っていないにもかかわらず就業規則の周知が行われたことから、たたかいの場を労働委員会へと移すこととなりました。
沿革[3] 大阪公立大学教職員労働組合として
2022年4月に新大学「大阪公立大学」が設置されることから、勤務するキャンパスを問わずに組合員をサポートしていく決意として「大阪公立大学教職員労働組合」へと改称。組合員の勤務地が分散していく中でもきめ細かなサポートが行えるよう工夫を重ねるとともに、法人との交渉力をより強固なものとするため、大阪府大学教職員労働組合(府大教)と大阪府大学教職員ユニオン(府大ユニオン)から提案を受けた三者での合併についての協議を行ってきました。
三組合は2024年8月に合併内容を固めたうえで2024年の末までに大会決議、全員投票等の手続きを終え、この2025年4月に合併が成立。三つの組合の組合員が一つになり、新たな一歩を踏み出しました。

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